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「言葉の力」と「言葉の使い方」。

  • CATEGORY戯れ言
  • PUBLISHED ON2008/ 06/ 26/ 19:00
  • COMMENT2
皆さま、こんばんは。
今日は、コミュニケーション・ツールとしての「言葉」についての話題です。

先日に引き続き、またまた友人のはるこさまのサイトのブログ「Atelier うさぎのあな」の記事「言葉の力」「言葉の使い方」を読んで感じたり考えたりしたことなのですが、書かせていただきますねー。はるこさま、リンク&引用のご了承、ありがとうございます♪


●言葉の力

はるこさまのブログでは、ネガティヴ・トークで周りの雰囲気を台無しにしてしまう人のお話が書いてありました。お稽古ごとなどで、みんなが作業に没頭しているときに、個人的な愚痴でその場の空気をトーンダウンさせてしまうのは困りものですよね。

誰しも愚痴を言いたいときはありますし、ネガティヴな気分のときもあるでしょうけれども、楽しくあるべき場でそれを言われると、がっくりします。愚痴をいう時も、時と場所と相手を選ぶことって大切なんですね。たとえば、ディズニーランドで楽しく盛り上がっているときに、誰もそういう話なんて聞きたくないでしょうから。

相手選びも大切な要素。それほど親しくない(と自分では思っている)相手から、ものすごくヘヴィな愚痴を聞かされたら、やっぱり心の中で少し引いてしまいます。

そして、一番に感じるのは、愚痴を言うにもマナーが大切ということでしょうか。相手に自分のネガティヴな感情を一方的にぶつけておしまい…では、聞かされる方はたまったものじゃありません。

アドヴァイスを求めているのかと思って何かコメントすると、かえって不愉快そうに反論されたりして。そういう人は、どうやら「あなたは黙って聞いていればいいの」という考えらしいです(はるこさま談・苦笑)。

特に、人の悪口で同情と共感と慰めを求めるのって、なかなか言い方が難しいものです。「私はこんなに酷い目に遭ったの」「私ってこんなに可哀想なの」という気持ちが先立つあまり、感情的になって相手を口汚く罵ったりすると、たとえ相手に非があったとしても、やはり聞くほうは気分のいいものではありません。

愚痴をいう時は、たとえそれがかなり親しい相手であっても、「あまりいい話じゃないけれど、ちょっと聞いてもらっていい?」とか「私はこう感じたのだけれど、あなたはどう思う?」など、聞いてくれる人の立場を尊重しなくちゃいけないのだと感じます。

私のオフラインの友人に、愚痴を言うのがとても上手な人がいます。主に嫁姑関係の愚痴なのですが、大阪出身だからでしょうか、彼女の愚痴はネタなんです(笑)。いつも、思わず笑ってしまうような話し方をしてくれるので、聞くのが全然苦痛ではありません。怒りや憤りなどのネガティヴな感情を、直接私にぶつけてこないからなのだと思います。

最近会ったときも、お姑さんの愚痴の最後に「私もまだまだ人間が出来てないってことやね。これでひとつ大人になったわ、お義母さんありがとうって思うことにしているねん(笑)」と笑いながら明るく締めくくっていました。いえいえ、あなたは私よりよっぽど大人です~(笑)。

ネガティヴな言葉は言わないのが何よりですけれど、どうしても言いたい時は相手のパワーを奪わないように節度とTPOを考えて…と自戒をこめて思います。


●言葉の使い方

続いて、言葉の使い方について。こちらは、自分を卑屈に見せて、相手のパワーを奪いとるというネガトークの裏技?のお話(笑)。

何か人にものを頼むときに面と向かって「迷惑だったら言って?」という人。「はい、迷惑です」…とは言えませんよね(苦笑)。

別に迷惑をこうむるほどのことでもないのに、ものすごく大げさに「迷惑かけてごめんなさい」と平謝りする人。なんだか、自分が相手を苛めているような気分になってしまいますよね(苦笑)。

はるこさまのお友だちの話によると、そういう人は自分の非を和らげるために、「そんな事ないよ~、迷惑だなんて」という言葉が聞きたいのだそうです。

そういえば、そういう人っていますよね。本当はそんなこと思っていないのに卑屈な態度をとって、同情を引こうとする人や、こちらが相手を責めているように見せて、加害者意識を植え付けようとする人。

そういう人に限って実はけっこうプライドが高いので、相手が期待通りの反応(「いいのよ、そんなこと気にしなくて」みたいな)をしなかったりすると、「ひどい人!」と逆切れしたりするので、気をつけなければいけません(苦笑)。

人間誰しも自分が大切ですし、自己愛が満たされないと不満に思うということはあるでしょうけれど、自分を弱く見せて相手の同情を引き出すのは不毛なやりかただと思うし、結局相手のパワーを奪い取るネガティヴ・トークと同じことのように思います。

謙虚さは日本人の美徳のひとつだとも言えますが、謙遜も度が過ぎると卑屈に見えたり嫌味に聞こえたりしますし、そのあたりの言葉の使い方の塩梅は、なかなか難しいものですね。

先日も書いた“ぶれない自分”を持っていれば、誰に対しても堂々としていられるし、過度に謙虚になることなく、かといって傲慢になることもなく、自分の思いや意見ををはっきりと伝えることができると思うのですが。



というわけで、ネガティヴな感情を持つことは誰でもあることですけれど、その表し方には気をつけなくちゃいけないということですね~。

私も、ネガな言葉を撒き散らして人を不快にさせたくないですし、ネガな感情に巻き込まれそうになっても、理性と知性で毅然と(できたらユーモアを持って)、乗り切っていけるようになりたいものです。
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2 Comments

れい  

同感です

 暁生さまのブログ、そしてはるこさまのブログを読ませていただきました。まさにそのとおりです。「愚痴を言うにもマナー」は今まで考えてもみませんでした。ただただ自分の一方的な感情を相手にワァーとぶちまけ、自分だけスッキリしていました。猛反省です。

 それから暁生さまのお友達が「私もまだまだ人間ができてないってことやね。---」と言って明るく締めくくる姿がとても印象的でした。私も次からはこう言って、最後は歯切れよく話を切り上げたいです。でも愚痴らないことが一番です。今の世の中、明るいニュースが少なく、人の心もすさみがちになりますが、こんな時代だからこそ、ユーモアを潤滑油にして愚痴を笑いに転化できたらいいですね。

2008/06/26 (Thu) 23:45 | EDIT | REPLY |   

暁生@オーナー  

愚痴を笑いに…。

れいさま、コメントありがとうございます。

愚痴なんていわずに済むほうがいいに決まっていますけれども、あまり我慢して溜め込んでしまうと、精神的にもよくありませんから、適当にガス抜きも必要ですよね。

そんな自分の愚痴を聞いてくれる相手は本当に貴重な存在ですし、相手を大切な人だと思えば、ただ吐き出しちゃえ~みたいには出来ないと思うんですよね。と言いつつ、私もなかなか出来ないんですけれど(猛反省…)。

そんな中、私の友人は本当にすごいなーといつも感心しているんです。同居するお姑さんとのあれこれをユーモアたっぷりに話すので、「なになに?今回はどんなことがあったわけ?」と思わずこっちが身を乗り出してしまいます(笑)。

それって、彼女が自分をきちんと客観視できているからかなあなんて思うんです。だから、事実とそのときの自分の行動や心境は話しますが、お姑さんのことを悪し様に言ったりはしないんですよ。

それでも彼女の苦労や気持ちは十分伝わりますし、ただ感情をぶつけてくるのとは違い、笑いながら聞いてあげられるんです。なかなか出来ることじゃありませんよね。

>こんな時代だからこそ、
>ユーモアを潤滑油にして
>愚痴を笑いに転化できたらいいですね。

本当ですよね~。
ユーモアって、知性だと思うんですよ。私も、愚痴をブログのお笑いネタ?に出来るように頑張ります(笑)。

れいさまのコメントには、私も気づかされることばかりです。いつもコメントありがとうございます♪

2008/06/27 (Fri) 18:26 | EDIT | REPLY |   

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