あれから7年
あれから7年、経ったのですね。
人生で一番大きな地震を経験した日です。
以前もUPしましたが、
地震から1か月後に書いた記事で、当時を振り返ってみようと思います。
↓以下、2011年4月11日の記事より
●3月11日のこと
あの日、茨城県南部はよいお天気でした。
午前中、私は、自転車とコミュニティーバスを使い、市役所へ「住基カード」の受け取りに行きました。
最近は、自動車免許やパスポートを持っていないと、
銀行口座開設はもちろん、レンタルビデオ店の会員にもなれないんですよね。
帰りに最寄のヨーカドーで買い物をし、
ママチャリの前後のかごに食品をたくさん積んで帰宅しました。
春休み中の息子と昼食をとり、2階の自室のPCで「名探偵ポアロ」のDVDを観ていたとき、
突然グラグラッと来ました。
はじめは、またいつもの地震かなと思ったのですが、どんどん揺れが酷くなってきます。
振幅の大きな横揺れでした。
ベッドをソファ代わりにしていたので、頭から布団を被って備えました。
目の前のPCデスクや机が、ずずずーーっという感じで1m近く動き、
本棚から本がなだれ落ちるのを呆然として見ていました。
恐怖というよりは、ついに来る時が来た…という感じでしょうか。
その時点では、私は、首都直下型か東海地震だと思っていました。
市の防災無線では、
「震度6以上の地震がありました。テレビ・ラジオをつけ落ち着いて行動してください。
火の始末をしてください」
と繰り返し放送しています。
震度6なんて、起震車でしか経験がありません。
見ると、PCがまだ稼働したままだったので、揺れが収まってから慌ててTVをつけました。
息子も揺れが収まると、私の部屋にやってきました。
「俺の部屋、すごいことになってるよ」が第一声。
電話は、携帯も固定電話も全然通じないので、携帯メールとPCメールで、とりあえず夫に無事を知らせました。
(届いたのはずいぶん後のようでしたが)
都内の実家にかけても、電話はまったく繋がりません。
TVの地震速報により、震源は東北沖だと分かったので、
たぶん実家の方が被害が少ないだろうと、少し安心しました。
1階に下りてみると、冷蔵庫や家具が移動し、
食器棚にあるクリスタルのワイングラス類がほぼ全滅。
床はガラスの破片だらけ。
トイレや階段の照明も、ガラス製だったため落ちて割れていました。
(トイレに入っていなくて良かった!)
被害を確認して2階に戻ると、携帯に何通か安否確認のメールが届いていました。
阪神大震災を経験した友人から
「余裕があったらお風呂に水を溜めて」とあったので、
とりあえずガラス類を片付けて、全部の鍋とやかん、浴槽に水を溜め、ご飯も5合炊きました。
そのうち、水道の水の出が悪くなり、防災無線で断水を知らせるアナウンスがありました。
後から知ったのですが、我が家は大丈夫だったものの、
市内ではかなりの家で停電していたようです。
全壊・半壊した住宅も。
でも、その時点では、外のことは全然分かりませんでした。
幸い都内同士では電話が通じやすかったらしく、
実家で一人暮らしの母の無事は、夫が確認してくれました。
その後のことはよく覚えていません。
津波が街や畑を飲み込んで行くTVの映像に呆然としながら、
とんでもない大災害が起きたということだけ認識できました。
その日は、深夜までずっとTVをつけっぱなしでした。
津波の映像の次は、火災、そして都心から郊外に向かうJRや私鉄の運行停止による大量の帰宅難民。
アナウンサーが「無理をして帰らないでください。
泊まるところがある方は留まってください」と繰り返し言っていましたっけ。
港区で勤務している夫も早々に帰宅を諦め、会社に泊まることになりました。
同じ部署(約30人)で帰宅したのは、一人だけだったそうです。
食事は会社で備蓄していた非常食(水でふやかすピラフ)を食べたとか。
夕食は、冷蔵庫に前日の残りのコロッケがあったので、とりあえずご飯と一緒に食べました。
すでに水は一滴もでなくなっていたので、阪神大震災の体験談で聞いた「お皿にラップ」が大いに役立ちました。
お風呂に入れないので、お湯を沸かして
(ガスも自動停止しましたが、自分で復旧しました)タオルで身体を拭きました。
でも、まだまだあれは序の口だったとは……。
大小の余震が続き、不安な一夜を過ごしました。
翌朝の新聞(と言っても届いたのは午後でした。
今から考えると、道路も鉄道も寸断されていたのに
どうやって届いたのだろうと不思議に思うほど。)には、
私の住む茨城南部は震度6強とありました。
毎年、この時期になると、あの日のことを思い出しますが、
はっきりと覚えているつもりでも、かなり忘れてしまっていることがあります。
人間の記憶って、本当にあてになりませんね。
時間の経過とともに忘れてしまいがちな災害への備えを
もう一度思い出すための戒めにしたいと思います。
あらためて、東日本大震災でお亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

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