私の中の「轟悠」
私の思い出話を色々書き綴ろうと作ったこの「記憶のコラージュ」、
しばらく何も書いていないなあ…と思ったら、いつの間にか1年経っていた…。
まあ、人生そんなもんさ…(意味不明)
というわけで、久々の更新。今回のお題は「轟悠」である。
とどちゃんについては、もうこのサイトでもずいぶん語っているけれど、
時々「暁生さんは、今でも轟さんのファンなのですか?」と質問を頂いたり、
とどちゃんについて熱く語るメールを頂くこともあるので、
改めて、私にとっての「轟悠」について、考えてみようという趣向である。
(なので、以下、「轟悠・至上主義」の方は読まないほうがいいかもしれません。
笑って流せる広い心の持ち主の方だけ読んでね・笑)
私が轟悠の熱烈なるファンだったことは、
このサイトの轟悠イラストの数を見てくだされば、お分かりになることと思う。
ファンになったのは、トップになる直前の高嶺ふぶきサヨナラ公演の頃。
でも、ビデオでファンになった人間にありがちなことだが、
私がファンになったのは、三番手の時代のビデオの中の轟悠だった。
「エリザベート」はもちろんだが、「JFK」「あかねさす紫の花(中大兄皇子版)」
「二人だけの戦場」などが特にお気に入りで、毎日どれかはビデオで観ていたと思う。
ちょうど、トップお披露目の公演は東上せず、生の轟悠の舞台が観られないので
もう貪るようにビデオを見る生活が続いていた。
ショーでは「ラ・ジュネス」の黒燕尾のシーンや、レクイエム、ボレロのシーンが
めちゃくちゃお気に入りで、ほぼ毎日見ていたし、
「バロック千一夜(ノーカット版のNHKバージョン)」
「ゴールデンディズ」もかなりお気に入りだった。
いや、あんなに熱心にビデオを見ていたことってなかったんじゃないだろうか…。
案外生の舞台を観ている作品のほうが、ビデオを買っても観なかったりするものである。
ビデオは大劇場の公演を収録するため、より練り上げられた東京公演を観る私は
「生の方が良かった」と思ってしまうのだ…。
だいたい谷先生の「春櫻賦」や「バッカスと呼ばれた男」なんて、
東京では大幅に改訂されたり、新しい場面が付け加えられたりしていたので、
大劇場版のビデオを観てしまうと東京公演を忘れてしまいそうになってしまう(苦笑)
あの「凱旋門」だって、東京はラストシーンが少し変っていたし…。
(っていうか、博多座なんてラスト一場面、丸ごとカットだったし)
話がそれてしまったが、本当に轟漬けの日々だったなあと懐かしく思う。
東京在住当時は、まだ新宿にも「キャトル・レーヴ」があったので、
週に1度は新宿まで足を運び、お店のお姉さんと顔馴染みになっていたほどだ。
特に「再会」「バッカスと呼ばれた男」「凱旋門」の3作の頃が、
私の轟熱(当時はそう呼んでいた)が、最も高かった時代である。
当時の私を知る人は、いかに私が轟悠に入れ込んでいたかをご存知かと思う。
ちょっとでも宝塚に興味を持ちそうな友人を見つけると布教に努め
轟悠の素晴らしさを力説し、
FCの並びに参加してはファン仲間と盛り上がり、
ファンサイトでもアホな漫才書き込みでまわりを呆れさせ…。
あの頃は、大劇場観劇やお茶会にも行っていたし、東京公演は二桁観劇が当たり前、
ガードに入っての立ったり座ったりも恥ずかしくない…という、
我ながら、かなりディープなファンだった。
私的轟悠絶頂期でもある、あの「凱旋門」の東京公演中などは、
入り待ちの後には、スタミナドリンクを飲んで体力を補給しないと観劇に差し支えるほど
ふかーーくはまり込んでいたものだった。
それほどまでに熱かった私が、今はかつてほどの熱がない…ということで、
ファン仲間に冗談半分に責められていたりするわけだけれども、
先日、やはり私と同様、かつては熱烈な轟ファンだった友人と話す機会があった。
私「私と同時期とか、もっと前からのとどちゃんのファンで、
今でも熱烈に応援している人もいるのに、どうして私は違うのかな?」
友「暁生さん、それはファンになったツボが違うからじゃないですか?
今もファンの人は、私たちとは違うツボで轟さんを好きなんじゃないですかね~」
なるほど、納得。
私は、轟悠の舞台姿に垣間見える、エキセントリックで、
いつもギリギリ崖っぷちを歩いているような、
一見大人に見えるけれど、本当はとても繊細で壊れやすいガラス細工のような、
痛々しさとか、世慣れない少年っぽさみたいな部分が大好きだったのだ。
(彌太郎が駄目で、ラヴィックが大好きなのも、そのせいだと思われる…笑)
掲示板にもチラリと書いたが、今の轟悠にはそれを感じる事はない。
実力十分・高値安定・貫禄十分、お茶会でもにこやかで(伝聞・笑)、
劇団の将来を担う自覚を持ち、常識を踏まえた歌劇団理事…。
前は、やれ人気がないだの、客席ガラ空きだの、ファンに冷たいだの、短期トップだのと
何かと叩かれる事が多かった彼女とは、なんという違いだろう…。
(いや、他組特出…ということで、別の意味で叩かれているかも知れないが…)
そして、叩かれる度に一生懸命彼女をかばう、健気なファンだった私。
「みんなは、彼(彼女)を誤解しているのよ!ああ見えて、本当はとてもいい人なの…」
まるで家族や友人に交際を反対されている、世間知らずの小娘のよう…(笑)
(っていうか、いわゆる“痛いファン”の典型?…苦笑)
ご本人にとっては、まったくもって余計なお世話というか、いい迷惑な話である(笑)
以前「歌劇」誌に、「春櫻賦」の客入りが悪かった…と植田理事長(当時)に
書かれた時は、本当に我が事のように悲しくて涙したものだった。
いやはや、いい時代になったものだと思う…(笑)
確かにいい時代にはなったけれども、私にとってのツボな轟悠はいなくなってしまった。
別の友人は「長崎しぐれ坂」で、私と轟悠との「復縁」はなるか…
と興味津々?のようだが(苦笑)、うーーん、どうなんだろう?
作品や役にはまることはあるかもしれないが、「復縁」は難しいかも…。
(轟さんに失礼です!)
だからといって、轟悠を否定するつもりは全然ない。
私は、あの、かつて私が熱烈に愛した轟悠を、今でも愛し続けている。
あの頃の作品は今でも大好きだし、好きだった場面を思い出すだけで胸が高鳴る。
好きだったポート、好きだった台詞、好きだった表情…。
思い出というには、まだまだ熱い思いがあると自分でも思う。
うーーん、つまり、今現在の轟悠については語れないけれど、
自分が好きだった頃(三番手~トップ時代)の彼女に関しては、
誰にも負けないほど熱く語れる…という感じだろうか?
なので、これからもイラストを描いていくと思うし、
まだまだ描きたいと思う場面やポート、写真もたくさんある。
こんな私は、やはり轟悠ファンといえるのだろうか…?
記憶の中にある、あの熱かった日々を懐かしく思い出す、この頃である。
2005/06/10 (FRI)
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