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 「ベルサイユのばら」


「ベルサイユのばら」、略して「ベルばら」は、1972年の春から73年の秋にかけて
週刊マーガレットに連載され、大ヒットとなった池田理代子作のマンガである。
当時私は中学生で、連載当初はそう毎週読んでいたわけでもなかったのだが、
いつの間にかそのストーリーに引き込まれ毎週の発売を待ち焦がれるようになった。

特にオスカルが話の中心に移っていったあたり(第4章・黒い騎士をとらえろ!)からは
かなりオスカルに夢中になっていた。
私自身もちょうど10代前半の思春期真っ只中だったので、
フェルゼンに片思いするオスカルや、アンドレを愛するようになるオスカルの
心の動きなどに我がことのように共感したものだ。

「ベルばら」のなによりの魅力は、オスカルの生き方だと思う。
代々王家を守ってきた伯爵家の末娘として生まれたオスカルは、
近衛連隊の隊長まで務めながら、貧困に苦しむ民衆を前に貴族としての
自分の生き方に疑問を持ち、近衛隊を辞めて王宮警備を担当する衛兵隊に転属し、
最終的には民衆の側に寝返ってバスティーユ攻撃に加わり、命を落とす。

当時はまだまだ「女の子は、女の子らしく」と言われていた時代だったから、
オスカルのように、理想に燃えて自分の意志を貫く生き方が、とても羨ましく思えた。
池田先生は1947年生まれのいわゆる団塊の世代で、
東京教育大学(現・筑波大)哲学科在学中に教育大の筑波移転に反対して
学生運動をしていたくらいの人だから
(そもそもマンガ家になったのも、資金稼ぎのアルバイトだったそうだ)
何となくオスカルの生き方に自分をダブらせていたのかなあという感じもする。

ともあれ、オスカルの大ファンとなった私は、
一日でも早く週刊マーガレットを読むため、当時金曜日発売だった週マが
水曜日の午後に入荷するというお米屋さんを見つけて
週マを買いに行くため、週に一回は学校帰りに30分も遠回りしていたほどだ。
(しかし、なんでお米屋さんなのに雑誌を置いていたんだろう…?)

学校の図書室でフランス革命関係の本を読みまくり
(もちろんツヴァイクの「マリー・アントワネット」も)
その中に「ジャルジェ将軍」という名前を見つけた時の喜び…!
「もしかしたら、オスカルさまは実在したの…?」と
夢のような空想に浸ってはうっとりしていた。
もちろん、連載終了後の後書きで池田先生は「オスカルは架空の人物」を
はっきり書かれたが、それほどまでに、実在の人間達の中に
溶け合っていたのだともいえる。

そして、マンガ「ベルサイユのばら」は1973年秋に連載が終了したが、
空前の「ベルばら」ブームがやってきたのはその後だった。
まず翌年に宝塚歌劇団で「ベルばら」が舞台化されることが発表された。
この年1974年は、宝塚歌劇団創立60周年の年に当たり、
「ベルばら」はその記念公演と銘打って上演された。
歌舞伎の長谷川一夫を演出に迎え、植田紳爾の脚本演出により、
月組で上演されたこの作品はご存知の通りの大ヒットとなり、
当時客足が今ひとつだった宝塚歌劇団の救世主となった。

もちろん原作の大ファンの私も、当時受験生だったにも関わらず、
親を説得して、同じく“オスカルさま・命”だった友人と共に、
東京宝塚劇場に足を運んだ。

その後、順番は定かでないのだが、まずは
□レコード化(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)買いました(笑)
□舞台化(オスカル・森田日記、アンドレ・にしきのあきら) 未見
□ラジオドラマ化(オスカル・佐藤オリエ)原作とはかなり違う展開。
□キャンペーンキャラ化(東急百貨店にて「オスカルのクリスマス」たぶん1975年)

特に東急百貨店は本店&東横店が渋谷にあり、当時、渋谷駅まで電車で10分という
超便利な場所に住んでいた私は、原画展や池田先生のサイン会などなどに
嬉々として出かけていった。
何しろ東急デパートのビルにオスカルのイラストの大型の懸垂幕が
垂れ下がっていたのだから本当にすごかった(笑)
渋谷の駅もオスカルのポスターだらけだったし…。

たぶん、世間で「ベルばらブーム」と言われたのは、この1975年のことだったと思う。
この年は、花組と雪組で「ベルサイユのばらⅡオスカルとアンドレ編」が再演され、
またまた空前の大ヒットとなった。
初演版がどちらかと言えば、アントワネットとフェルゼンが中心だったのに対し
こちらはオスカルとアンドレが主役なので、初演のストーリーに不満を持っていた
原作ファンも再演版ではかなり満足度も高く、11月の東京公演では
榛名アンドレ&安奈オスカルに熱狂する原作ファン続出だった。

もちろん私もその一人で、少ないお小遣いから何度劇場に通っただろう…?
当時、一番高いA席が2200円だったと思う。
私はいつも3階のD席(500円)が多かったが、立ち見もよくした。
立ち見席は300円にも関わらず、1階の上手&下手の通路で観られたのだ。
あの頃は、今と違って情報も少なかった分「夢の世界」という印象が強く
私も、オトミさん=オスカル、ショーちゃん=アンドレという感じで見ていた気がする。

さて、話は原作に戻るが、その後は
□アニメ化
□映画化「Lady Oskar」(ジャック・ドゥミー監督)
などなど、連載中に夢中になって読んでいた私も驚くほど
「ベルばら」は大きくなっていった。

特に、初回の放映時には今ひとつぱっとしなかったアニメ版が、
再放送を重ねるうちにどんどん原作を知らないファンを増やし、
いまの若い「ベルばら」ファンは、アニメで知ってから
原作を読んだ人が多いらしい…というのには本当に驚いてしまった。

当時、私のような連載中からのファンは、オスカルを神聖視&絶対視していたから、
「ベルばら」及びオスカルが、原作からかけ離れるのをひどく嫌っていた。
それを知っていた池田先生もキャラクター商品化は一切断っていたそうだ。

そんな原作ファンもいまやいい年齢になり(笑)当時私より年上だったファンの中には
孫がいる人まで出てきた。
今までは、親子二代「ベルばら」ファンだったのが、
これからは親子三代になって来るのかもしれない。

今、改めて原作を読み返してみると、絵だって古いし(特に連載当初。
美大生についてデッサンを習った中盤から、驚くほど絵が上手くなった)
恋愛に関しても、今の若い世代からしたらイライラするくらいおくて(笑)
だと思うのだけど、そんなことはどうでもいいくらいの、壮大な歴史絵巻として、
人間の成長物語として(オスカルやアントワネット)、恋愛物語として、
普遍的な魅力があるのだろうなあと思う。

そういう部分で、宝塚と「ベルばら」には共通のものがあり、
それが宝塚版「ベルばら」を大ヒットさせ、再演を重ねている理由なのではないだろうか。
(ちなみに、「ベルばら」ファンは、宝塚版を「ヅカばら」と呼んでいるらしい…笑)

私だって、もし「ベルばら」ファンにならなければ、
30年前に宝塚を観る事もなかっただろうし、
今ここでサイトを開いていることもなかったのかも知れない。
「ベルばら」のおかげで、歴史に興味を持ち、マンガの世界にのめりこみ、
宝塚ファンになり…。
本当に私にとって、ある意味≪原点≫とも言える作品なのだと思う。

連載当時、私の「ベルばら狂い」(親からそう言われていた)に
「たまには勉強しなさい」と顔をしかめていた母親も、
今では時々友人と宝塚を観ているらしいし、
観劇もせずマンガも全然読まないお堅い父親も、
たまにサイトを覗いてはイラストの感想をくれたりする。
そして、今、私の息子が、私が「ベルばら」に熱中していた年になっていて、
時が流れたんだなあ…としみじみ感ぜずにはいられない。

うーーん、時を越えていまやスタンダードになった「ベルサイユのばら」。
今はイタリア語でのオペラ化が企画されているらしい。
理代子センセ(ファンが呼んでた当時の呼び名・笑)が歌うのかしら、やっぱり…(笑)

2004/01/23 (FRI)

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