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タカラヅカ雑感 1998年、宙組誕生…

  • CATEGORY宝塚歌劇
  • PUBLISHED ON2004/ 01/ 08/ 17:06
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今年初観劇の宙組を観てきて、ふと宙組誕生の頃を思い出した。
宙組が正式に誕生したのは1998年の1月1日のことだが、
もちろんその動きはずいぶん前からあった。

といっても私が宝塚に復活したのが1996年で、
その頃は暢気にビデオを観ている程度のファンだったし
本気で宝塚ファンに返り咲いたのは轟悠に落ちた1997年なので、
いったいどのくらい前から新しい組の創設の計画があったのかは分からない。

ただ、老朽化した東京宝塚劇場の建替えに伴うTAKARAZUKA1000days劇場の建設、
そして関東のファンの長年の夢である東京通年公演の実現などのために、
新しい組を作ることはずいぶん以前から決まっていたのだろう。

当時私は轟ファンになりたてで、宝塚全体を見渡すまでに至っていなかったが
やはり「新組誕生」はずいぶん噂になっていたし、スポーツ紙などで「新組は虹組」などと
すっぱ抜かれたこともあった。

まず、1997年の7月末に、1998年1月に香港公演が行われることと、
その選抜メンバーが発表された。
香港公演参加メンバーが、最終的には新しい組の組子になったわけだが、
新しい組の誕生が発表されたのは、そのひと月後の8月の末だった。
また、新組(当時はそう呼ばれていた)誕生のために大幅な組替えが行われることになり、
それが発表された時は、私もかなりショックを受けた覚えがある。

何しろ当時私のご贔屓の轟悠は、高嶺ふぶき退団後の雪組トップになると決定していて、
その相手役が誰になるのかがとても大きな関心事だったからだ。
当然順番どおりに行けば花總まりなわけだが、新組に行くはなちゃんだけでなく、
当時2番手娘役だった星奈優里までが、麻路さきの相手役として星組に組替えになったのだ。

まず、雪組から新組に行ったのが、花總まり・和央ようか・寿つかさ・夢輝のあ・美々杏里など。
組替えになったのが、矢吹翔(花組へ)・星奈優里(星組へ)などだった。
そして、雪組に新しく来る事になったのが、香寿たつき(花組)・汐風幸(月組)・月影瞳(星組)
檀れい(月組)などだ。

新組創設に絡んだ組替えでは、もちろん現在のスタークラスの方々も多く組替えになった。
紫吹淳(星→月)、湖月わたる(星→宙)、朝海ひかる(花→宙)、
初風緑や霧矢大夢(花→月)などだ。

新組のトップは、当時人気急上昇中だった月組の姿月あさとが内定。
久世星佳退団を受けて、新トップ真琴つばさのもとで二番手になったばかりだった。
結局二番手としては「エルドラード」の大劇場公演を一回務めただけでの
新組トップ就任となったのだが、同期が匠ひびき・絵麻緒ゆうで
それぞれ花組・星組の三番手だったから、やはりかなりの抜擢という感じだった。
(他に退団した天海祐希も同期なので、そんなに凄いわけでもなかったのかも知れないが)

トップが若いから当然二番手・三番手も若く、和央ようか・湖月わたるという顔ぶれ。
娘役トップは花總まりで、若いトップにベテランをつけたという感じだった。
いや、はなちゃん学年は若いですけどね(笑)

まあ、そんなことで、私の激愛する轟悠には、新しく月影瞳が相手役として来る事になり、
まったく組んだことのないほとんど初対面に等しい二人がどうなるのかも
ファンとしてはドキドキものだった。

当時の一番の思い出は、なんと言ってもWOWOW「スターの小部屋」の
「真夜中のゴースト/レ・シェルバン」のお稽古風景だ。
轟悠トップお披露目公演のお稽古場最終日のその映像は、舞台稽古を前にして
その日が最後のお稽古場ということもあり、泣く人が続出。

公演途中から星組に行くユリちゃんはボロボロだったし、たかちゃんもうるうるだった。
「雪組・花總まり」のタスキをかけたはなちゃんの映像では、同期のとうこちゃんが
カメラの前でボロ泣きで、見ているこちらまでじーーんとなってしまった。
でも、なんと言っても驚いたのは、最後のパレードで轟さんが泣いていたことだろう。
私が轟悠の涙を見たのは、後にも先にもこの1回だけである。
(私は観ていないが、「バッカス」大劇場公演大楽でも同期退団に思わず泣いたそうだ)

ああ、轟さんが泣いている。やっぱり長年一緒だったメンバーが
何人も組替えになるのは寂しいんだろうなあ…と、
私もなんだか胸がいっぱいになったものだった。

きっと色々なところで、色々な思いをした人がいたのだろうと思うが、
1998年1月1日、「宙組」という正式名称が発表されて、宝塚5番目の組が誕生した。
このことはニュースでも大きく取り上げられ、同時にTAKARAZUKA1000days劇場誕生&
東京通年公演開始などの話題と共に、お正月の新聞に全面広告を出すなど、
関西の劇団というイメージが強い宝塚歌劇団のファン層拡大戦略が
幕を切って落とされた年といえるだろう。
(地方公演は全国ツアーと名前を変え、海外公演も毎年のように行うようになった)

宙組としての初公演は1月の香港公演で、その後4月に「エクスカリバー/シトラスの風」が
本拠地宝塚大劇場でのお披露目公演となった。
(ちなみに当時の初舞台生の中に音月桂ちゃんがいた♪)

5月にはTAKARAZUKA1000days劇場が有楽町にオープンし、
柿落としは月組の「ウエストサイドストーリー」。
これも東京ではかなり話題になっていて、チケットを求めての「並び」の人数は
日比谷公園を一周するものだった。(当時は今の友の会の抽選システムはなかった)
もちろん、宙組東京公演も大人気で、その当時東京に住んでいた私は
子供を連れて(抽選の頭数を増やすため)友人たちと早朝から並んだものだった。

ずんちゃんの人気は当時絶大なもので、私のまわりにも大勢のずんこファンがいた。
「エリザベート」や、サヨナラ公演の「砂漠の黒薔薇/GLORIOUS!」などは大変なチケット難で、
私もやっとの思いで観劇した記憶がある。

そして今、誕生から7年目の宙組は、和央&花總コンビのイメージが
すっかり定着しているようだ。
初代トップのずんちゃんとはなちゃんのコンビは、何とはなしにお互い遠慮があったように
見えたのだが、たかはなコンビは、雪組時代からの気心知れた間柄ということもあるのか
はじめからとてもしっくりしていたような感じだ。

正直言ってお披露目公演「望郷は海を越えて/ミレニアム・チャレンジャー」の時は
まだ「なんだか雪組観てるみたい」などと思っていた私だが、今やすっかりたかはなコンビは
宙組の顔という感じだ。
たまに昔の雪組のビデオを観ると「ああそうだ、この二人は雪組だったんだよなあ」と
不思議な気分になってしまう。
そう言えば私の友人も真琴つばさトップ時代に
「月組観てると、花組観ているみたい」と言っていたっけ(笑)

私が昔(約30年前…笑)ファンしていた頃は、東京通年公演なんてただの憧れだったし、
宝塚に第5の組が出来るなんてまったく想像もしていなかった。
新専科制度導入や轟悠の専科トップなど、本当にここ数年の動きには驚きべきものがある。
宝塚はどんどん変わっていて、ファンはそれについていくのが精一杯という感じだが、
それでも宙組は着々と新しい歴史を積み重ねている。

宝塚歌劇団が創立90周年を迎える2004年、
これからの宝塚がどのように進んでいくかは分からないけれど、
いつまでも夢と憧れがつまった美しい舞台を見せてもらいたいものだと
強く願わずにはいられない。



2004/01/08 (THU)

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