「左右盲」かも?
「左右盲」という見慣れない言葉をみつけました。
左右盲とは…
右と左の区別が咄嗟にはつかないこと、
またはそのような人の、自称。
色盲などといった既存の言葉から造られた
ただの俗語であり、
このような病名や学術用語が実際にあるわけではない。
(はてなキーワードより)
詳しくは、こちら↓をごらんくださいね。
○左右盲
○右と左がとっさに判断できない「左右盲」の苦悩
実は、私は右と左がとっさにわからないんです。
子どもの頃…そうですね、高校生くらいまでかな、
それがかなりのコンプレックスでした。
中学のダンスの授業で
「右足出して」とか「左手をあげて」などと指示されても
とっさに分からなくて、とても恥ずかしかった思い出もあります。
(実は、今でもよくわからない…<汗)
まわりの子たちはみんなできるのに
「何で私だけこんなにとろいんだろう?」と落ち込みました。
「みんなが出来るのに、自分だけできない」
10代の頃って、そういうことに敏感ですからね。
落ち着いて考えれば、ちゃんと分かるんですが、
とっさの判断が出来ないんです。
「右」と言われると、まず頭の中で「お箸を持つ手」と変換され
その後動作に移るので、時間がかかるんですよね(苦笑)。
で、今までずっと、そういう悩み…っていうか、
ウィークポイントを持っているのは、自分だけかと思っていました。
他にもそういう仲間がいたんですねー。
しかも、「左右盲」という言葉まであったとは。
左右盲の原因として、
左利きの人が、子どもの頃に矯正されたため…
というのがあるようです。
あくまで、俗説ですが。
私は、自分が左利きだったという記憶はないのですが、
本当はそうだったのかも?というフシはあります。
色々なことが、人と逆なんですよね。
右投げだけど左打ちだし、
ゴルフを習った時も当然のように構えが逆でした。
利き足も人と逆、雑巾の絞り方も。
それから、縫い物をする時に、左手に針を持って
無意識に左から右に縫ってしまいます。
幼稚園のバザーに出す小物をみんなで縫っている時、
人から指摘されて、初めて気づきました(汗)。
そういえば、学校で習ったときは逆だったっけ…。
あの時は、かなり恥ずかしかったです。
普段は、ちゃんと右利きなんですよ。
字を書くときも、絵を描くときも、お箸の持ち方も。
ふとした時、おもに無意識の行動に
左利きが顔を出すみたいです。
まあ、「左右盲」そのものが俗説なので、
その原因が「左利きを矯正されたため」という説も
眉唾なのかもしれませんが、
このことを知って、気持ちがスッキリしました。
自分以外にも、左右の区別がとっさに付かない人が
大勢いるという事実も心強かったですし、
その原因とされる「矯正された右利き」も
自分的に腑に落ちる部分がありました。
「ああ、そうだったんだ」と
頭の中のもやもやした霧が晴れたような…。
ま、実は、単にとろいだけなのかもしれませんが(笑)。
自分では気づかないけれど、
世の中には、他にもこういうことがあるのかも。
面白いですね。
↓庭の薔薇より。
「ウィリアム・シェイクスピア2000」です。

この薔薇は、写真に撮るのがとても難しいです。
もう少し深いクリムゾンなのですが、
色がなかなか綺麗に出ません。
たぶん私の腕がわるいせいでしょう(苦笑)。
茨城南部は大雨です。
明日もこんな天気かしらん。
青空が見たいなー。
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